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日本の金融機関は戦前から、国の保護行政・護送船団方式のぬるま湯の中で生きながらえてきた。だからこそ戦後日本において、極めて安定した職種として認知されるようになり、「銀行マン」なるものが羨望され、結婚などに際し評判がよかったのである。しかし、それ故に金融は農林業などと同じで、現在、日本において最も国際競争力のない産業の一つである。

そのぬるま湯で育った銀行は、バブル時代、はじめて一人立ちしようとした。それまでの大蔵省主導下の消極的で受身的な経営から、積極的かつ自主的経営に乗り出したのである。それまで培った信用の看板を前面に押し出し、企業向け融資の拡大はもちろん、個人向けにも多額融資をし始めた。(その中で私たちの被害は生まれている。)その結果が、巨額不良債権という失敗につながった。

つまり、初めて大規模な主体的経営を行った途端、銀行はいきなりバブル崩壊という未曾有のリセッションを引き起す一因を作ったのである。

そして結局、銀行は70兆円の公的資金投入をしてもらうことで、自身の失敗を国民に尻拭いをさせた。またいまだに税金を払っていない。そして自分たちの経営失敗・公的資金投入という責任を完全に棚上げにし、2008年という時代になっても私たちのような被害者に対し、一切の説明なく言語道断の債権回収を行おうとするのである。

以前に、大瀧氏による金融立国論に対する批判の論文を掲載したが、金融立国などという暴論を主張する人間は、まず私たち銀行被害者の声にも耳を傾けるべきである。どれだけ多くの人が銀行に人生を奪われたか、知っているのだろうか?その痛みをリアルに感じたことがあるのだろうか?金融庁こそ「国民を向いた政治」をすべきではないか。

無職の高齢者に2億円をリスク説明なしに融資したみずほ銀行が、「貸し手責任は0」、と主張したまま顧客の戦前からの自宅・土地を奪おうとしている、ということを多くの方に知っていただきたい。それもみずほ銀行が「自宅の将来的な保全」のためと言って相続税対策として借金を提案してきたのである。

このような銀行の横暴・矛盾が許される社会制度の中に、未だに日本という国はある、ということをこの国のリーダーたちはおかしいと思わないのだろうか?
カテゴリー: 銀行被害
投稿者: webmaster
みずほ銀行の悪質・反社会的経営を訴える同様サイトを紹介します。

みずほ銀行の裏窓』

この方が言っていることは、根本的なところで当方が主張していることと同じである。

「人を騙さずに一生懸命生きてきた私は、みずほ銀行から人生で初めての取返しのつかない裏切りを受けた。
取引したのは私の不徳だが、なりふりかまわぬ保身をするみずほ銀行を私は許せない。」

「 「筆舌にし難い」 との言葉を しみじみと実感している現在です。」


ある中堅自民党議員が次のようなことを私たちに直接聞かせてくれた。
「近年はサラ金に対しては国のメスが入るようになってきた。けれどその奥にいる、本当の悪の中枢である銀行にはまだ手が届かない。必ず、ここに鉄槌を下さなくては」

国民は、自民党議員にすらこのように言及される日本の銀行の真実をもっと知るべきだと思う。それほど銀行は顧客など、どうにでも出来ると考えているのだ。それが、ここで紹介したサイトを含め、私たちのような銀行被害者を生むのである。
カテゴリー: 銀行被害
投稿者: webmaster
このような論文を発見した。最近の日本での金融立国を目指せという主張に対する批判である。

大瀧雅之(東大・社研教授)「『金融立国論』批判」  『世界』2008.3
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「つまり、日本の金融業は自らの責に帰すべきところの大きい『バブル崩壊』と呼ばれる不良債権問題を、ついぞ自力解決できなかった産業であることを、われわれは黙視すべきではない。自浄能力・革新能力に疑問の残るこうした産業に国の未来を託そうというのは、いかにも暴挙ではないか。」P109

「日本の金融業への過保護行政が、『護送船団方式』の昔とは姿を変え、『市場型間接金融』や『金融立国論』と名さえも変じているとは言え、一般市民への倣岸というべき負担強制を省みず、全く改まっていないとの総括にいたる」P109

大瀧氏は結論として、「金融・保険業・不動産業」の就業者数は全就業人口の3.6%に過ぎず、総生産額からみても日本経済全体の7%に過ぎないことから、「金融立国論」の現実不可能性を、その他の論拠も用いながら論じている。


私たちのケースの場合、みずほ銀行は雑誌、新聞、テレビ、国会でその理不尽かつ無責任な経営姿勢を追及されたにもかかわらず、未だに自身の罪はゼロだといっている。前田社長が「バブル時代の融資は、銀行にも問題があった」と国会で明言(第154回国会 2002/4/24 )しているが、現実には何一つ責任を認めようとしない。そして私たち家族の生活を破綻させてでも、収益を上げようとする。

私たち銀行被害者ははっきりと断言できる。どんなに責任が明白でも銀行は自分たちの責任を絶対に認めない。そしてそれを許す日本の政・財・官の癒着がある。銀行はそれほど深く国家に食い込んでいる。そんな銀行が中心にある金融業を中心として立国せよ、などというのは国家破綻のシナリオである。失敗した時、必ずやまた、銀行は国民にすべての尻拭いをさせる。

銀行被害者となっていえることは、「絶対に銀行を信用するな」ということだ。そしてこれほどの顧客軽視をする銀行業を国の中心産業にするなどというのは、考えただけでもゾッとするのである。

『日経ヴェリタス』での金融立国論批判
「金融立国」の虚構――「技術不在」米に追随するな 『日経ヴェリタス』08/1/21
金融庁発表「金融改革プログラム - 金融サービス立国への挑戦 -」 PDF