このような論文を発見した。最近の日本での金融立国を目指せという主張に対する批判である。

大瀧雅之(東大・社研教授)「『金融立国論』批判」  『世界』2008.3
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「つまり、日本の金融業は自らの責に帰すべきところの大きい『バブル崩壊』と呼ばれる不良債権問題を、ついぞ自力解決できなかった産業であることを、われわれは黙視すべきではない。自浄能力・革新能力に疑問の残るこうした産業に国の未来を託そうというのは、いかにも暴挙ではないか。」P109

「日本の金融業への過保護行政が、『護送船団方式』の昔とは姿を変え、『市場型間接金融』や『金融立国論』と名さえも変じているとは言え、一般市民への倣岸というべき負担強制を省みず、全く改まっていないとの総括にいたる」P109

大瀧氏は結論として、「金融・保険業・不動産業」の就業者数は全就業人口の3.6%に過ぎず、総生産額からみても日本経済全体の7%に過ぎないことから、「金融立国論」の現実不可能性を、その他の論拠も用いながら論じている。


私たちのケースの場合、みずほ銀行は雑誌、新聞、テレビ、国会でその理不尽かつ無責任な経営姿勢を追及されたにもかかわらず、未だに自身の罪はゼロだといっている。前田社長が「バブル時代の融資は、銀行にも問題があった」と国会で明言(第154回国会 2002/4/24 )しているが、現実には何一つ責任を認めようとしない。そして私たち家族の生活を破綻させてでも、収益を上げようとする。

私たち銀行被害者ははっきりと断言できる。どんなに責任が明白でも銀行は自分たちの責任を絶対に認めない。そしてそれを許す日本の政・財・官の癒着がある。銀行はそれほど深く国家に食い込んでいる。そんな銀行が中心にある金融業を中心として立国せよ、などというのは国家破綻のシナリオである。失敗した時、必ずやまた、銀行は国民にすべての尻拭いをさせる。

銀行被害者となっていえることは、「絶対に銀行を信用するな」ということだ。そしてこれほどの顧客軽視をする銀行業を国の中心産業にするなどというのは、考えただけでもゾッとするのである。

『日経ヴェリタス』での金融立国論批判
「金融立国」の虚構――「技術不在」米に追随するな 『日経ヴェリタス』08/1/21
金融庁発表「金融改革プログラム - 金融サービス立国への挑戦 -」 PDF