11月13日の朝日新聞に次のようなものがあった。

朝日新聞「声」欄 2007.11/13 「企業苦しめる不健全な融資」

「無職 **紀夫(札幌市中央区 58歳)
「「銀行の貸し手責任を読み解く」(4日朝刊経済面)を身につまされる思いで読んだ。
 私はバブルの終わりごろ、ある中小企業の再建のために社長に就任した。経理財務内容を分析して、まず驚いたことは借入金が異常に多いことだった。
 年商4億の会社に、取引き金融機関3行で3億5千万円ほどあった。そこには融資の半ば強制があった。金融機関の借入要請を断ることは、次の融資に大きく影響する。前の経営者はその融資をやむなく設備投資につぎ込んだ。その結果、過大な設備投資になることは明らかだった。
 しかし、金融機関がずっと貸し続けることはなかった。一気に貸し剥がしが始まり、会社は行き詰った。簡単な図式である。結局、会社は6年後に倒産し私は無職になった。
 健全な企業にするためには、健全な融資が必要である。バブルの後遺症も消えつつある昨今、借り手はもちろん、貸手である金融機関は過去を忘れてはならない。生き残りのため弱い中小企業を犠牲にする構図はいつまで続くのだろうか。」


バブル破綻の被害は本当に日本国民全員に長きに渡る深刻な影響を与え、今も与え続けているのがわかる。これは本当に私たちだけの問題ではないのだ。しかし国の対応策は銀行を公的資金70兆円で救済しただけ。一方個人被害者は放置、一因だった銀行融資の規制の改革も行わなかった。立法も行政も司法もマスコミも、バブル被害の辛い過去に蓋をしてやり過ごしてきたのである。

銀行融資がこのまま具体的な法的規制を受けないままならば、また被害が起きても銀行は全て借り手の責任にすることが出来てしまう。「借りたら返せ」というフレーズがいかに消費者にとってマイナスか知るべきである。

みずほ銀行は公的資金のおかげで業績回復を果たした現在、銀行の無茶苦茶な融資にも原因があるにもかかわらず、それは法律上関係ない、として私たちの自宅を競売にかけている。

このようなことを一方でしながら、来期はみずほ銀行の杉山清次頭取が会長となる全銀協の行動憲章にはこうある。「社会的規範にもとることのない、誠実かつ公正な企業活動を遂行する。」

相続税対策として年金暮らしの高齢者に年収の350倍を貸し付けておいて、「時代が変わった」と自宅を名義人の存命中に競売にかける。これを「社会的規範」にもとる、とは考えないのがみずほ銀行である。そもそもみずほ銀行は説明責任すら完全放棄している現状である。

一つ重要なのは、私たちが銀行側担当者に対し「社会常識から見てあなた方がしていることはおかしいのではないか」と問うと、彼らは「そうかもしれません」と答えるか、無言で黙り込む。でも最後は「全額返済」としか言わない。杉山清次頭取はじめ、前田晃伸社長はこれをどう考えているのか?これをおかしいと思わないのだろうか?

このまま競売となれば、みずほ銀行は貸し手責任ゼロ、説明責任ゼロのまま私たち家族の生活を根底から破壊するのである。これで社会規範をうんぬんするのが現在の日本の銀行なのである。

日本の銀行は私たちのケースだけでなく、この中小企業への貸し剥がしのように、本当にモラルの欠如もいいところなのだ。だがそれはひいては、それを黙認し無関心でいられる日本社会の意識の低さを反映していると言わざるを得ないだろう。