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先日、薬害エイズ事件に関して厚生省の元課長に有罪判決が下った。

時事通信
読売新聞

有罪判決の根拠となったのは、行政責任者の「不作為」。つまり、やるべきだった対策を怠った、ということである。

「不作為」による有罪判決で画期となったのは2001年、熊本地裁でのハンセン病国家賠償訴訟である。ハンセン病訴訟では行政、立法にも「不作為」が認定され、原告の勝訴につながった。
民主党談話
櫻井よしこ ブログなどが、わかりやすく説明している。

そして今回の薬害エイズの最高裁判決は、不作為による罪が、官僚個人に対する刑事責任にまで波及したのである。

以上のことを踏まえ、私たち銀行被害者のケースを考えてみると、同様のことがいえるのがわかる。
よって以下では私たちのような銀行被害に関連して行政、立法の不作為が認定されうる可能性について述べたい。


たとえば、リンク先にも挙げてある「銀行の貸して責任を問う会」は1996年の発足当初から、当時の大蔵省に対し銀行の過剰提案融資に関する質問書を再三提出している。また同会は金融庁に対しても不良債権処理に際し、借り手の側に責任大であるもの、貸し手の側に責任大であるもの、神戸震災などの天災によって不良債権化したもの、の三つに分けて不良債権問題に対処すべし、との要望書を何度も提出している。あるいは、国会議員によっても銀行の巨額提案融資の問題点については質問主意書が提出されている。

つまり、当時の大蔵省にしても、現在の金融庁にしても、バブル期の銀行による巨額提案融資によって国民に大きな被害が出ているのを知らない、という言い訳は絶対にできない。では、被害があるのは知っていた、という前提の上で、金融当局はこの問題に対応する権限はあったのか。

当時にしても現在にしても、大蔵大臣・金融当局は銀行法に基づき業務改善命令や、行政指導する強い権限を持っている。つまり、銀行の非道かつ社会的責任を無視した経営に対し、修正するよう強制する力を持っている。しかし、私たち被害者の声はほとんど聞かれることはなく、変額保険に代表されるように銀行の巨額提案融資による被害に対し、金融行政はまったく国民の側を向いた仕事をしなかったのである。

簡単に言えば、行政は一般社会常識に照らして明らかにそれに矛盾する、当方に代表されるような銀行被害が出ているのを知っていた。そしてそれをとめる権限を大蔵省・金融庁は持っていた。しかし、行政はそれをまったく行わなかった(小泉政権下での「迅速な不良債権処理」という政策のみが優先された)、ということである。

以上から金融行政の「不作為」が問われうる可能性は十分ある。
私たちは昨年、金融庁に対し議員を伴って陳情に行った。その時の担当官たちの答えは「大変だと思います。しかし、法律が優先されますから」という趣旨のことを言った。

一見妥当にみえるが、これが通るならば最高裁で薬害エイズの行政責任は認定されなかったはずである。一般社会常識より法律が優先するなどおかしいのである。金融庁にも私たちのような銀行被害を食い止める責任がある、というのは明らかなのではないだろうか。現在の消費者重視を掲げる福田政権のスタンスからしても、この問題に行政担当者が真摯に向き合ってくれることを願ってやまない。

このブログは現在も平均して霞ヶ関、永田町から一ヶ月で平均100件のヒットがある(ちなみに「みずほ銀行 融資」でグーグル検索すると上から二番目)。このブログを読んでくださっている官僚、政治家の方々に心からお願いしたい。どうか、私たちの家をみずほ銀行から守ってください。まだ被害は食い止められるのです。

お金がほしかったわけでも、投資がしたかったわけでも、不動産転売をしたかったわけでもない。ただただ、みずほ銀行が提案してきたように、戦前からある家を末永く維持するためだけに借金を起こしたのです。

銀行は「国民生活の破綻を避ける」という名目での公的資金投入によって救済され復活しました。その裏側で現在、銀行によって家を失い、生活を破綻させられる国民がいるという事実を、国家の責任者たちは何も感じないのでしょうか?