3月16日: サブプライム問題と日本の金融機関のモラルハザードについて
*一応、数日間はコメント欄とトラックバックを再開しますが、また大量のスパムや広告があった場合、すぐに停止させていただきます。あしからず。
アメリカではサブプライム問題の解決に向け、FRBのバーナンキ議長を中心にさまざまな提言がなされている。実際にどのような形になるかどうかはまだ不明だが、事態は具体的で包括的な解決策に向けて動き出しているように見える。そこで以下にいくつかニュースのリンクをあげ、当方の被害と関連させつつ日本のバブル崩壊について書きたい。
ロイター 3月15日「米FRB、住宅差し押さえの打撃を和らげるよう努力=バーナンキ議長」=『米連邦準備理事会(FRB)のバーナンキ議長は14日、住宅差し押さえが相次いでいることは無謀な貸出慣行が一因との見方を示し、差し押さえの打撃を和らげるためにFRBはあらゆる努力をすると確約した。』
読売新聞 3月15日「銀行救済策、公的資金活用も選択肢に…米大統領」=『大統領は、救済に関して「米連邦準備制度理事会(FRB)や財務省がモラルハザード(倫理の欠如)と市場安定を注意深く比較検討したことが米国民にわかる形にすることが重要だ」と述べ、安易な救済でモラルハザードを招かないようにすることが必要との認識を示した。』
ブルームバーグ 3月4日「FRB議長:貸し手に「住宅ローン元本削減」要請、差し押さえ抑制で」=『バーナンキ議長は「貸し手は元本減額には消極的であることをFRBに表明している。元本を減額すれば、住宅価格がさらに下落し、再び元本を減額するよう圧力を受けると主張している」ことを明らかにした。しかし、ローン残高を減らせば、「デフォルト(債務不履行)や差し押さえのリスクが低下し、予想される返済が増える可能性がある」と反論した。』
ブルームバーグ 3月15日「バーナンキFRB議長:住宅ローン、あらゆる貸し手への「監視強化」を 」=『バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は14日、ワシントンでの講演で、「この数年みられる住宅ローンには、無責任あるいは杜撰(ずさん)なものが多過ぎる」と述べ、あらゆる住宅ローンの貸し手に対する「監視強化」を求めた。』『バーナンキ議長は4日、差し押さえを回避するため、住宅ローンの元本削減に応じるよう金融機関に求めた。』
テレビ東京 3月5日(動画ニュース) =『バーナンキ議長は元本の削減は借り手を助けるだけでなく、金融機関にとっても貸し倒れのリスクが減るとしています。』
以上のようなニュースからわかるのは、FRBは借り手が自宅を失うことのないように金融機関に元本削減を求めていることだ。その根拠として元本削減のほうが住宅差し押さえよりも利益が出るから、という論理を使っている(この件に関してはこのブログの説明がわかりやすかった)。これに対しはポールソン財務長官などが反対しているようであり政府内部にも異論が多そうだが、少なくとも金融当局トップが可能な限りサブプライム問題の債務者が自宅を失わないような方策を考えているのは確かである。
異論はあるにせよ、バーナンキ議長のサブプライム救済策は市場経済合理性に基づいて、元本削減による債務者の自宅保全策を提案しているわけである。この観点から言えば、私たちはみずほ銀行に対して社会的・道義的責任から元本削減による自宅の維持を求めているのであり、アメリカにおける現在の議論とは確かに異なるといえるかもしれない(日本では銀行絶対有利の法制度上の壁、行政の消極さ、立法府の怠慢からそれしかほとんど不可能なのが実情であり、みずほ銀行はそれをいい事に強硬なのである)。
そのため、当方が要求するような市場原理に基づかない元本削減が行われればモラルハザードが起こり、債務者の返済意欲の減退が起こる、あるいは株主訴訟を起こされるかもしれない、という反論が銀行からなされるのであろう。(実際は社会的責任などお構いなく、ただひたすら利益をあげたいだけである)
しかし、注意すべきはみずほ銀行はじめ、日本の銀行はバブル崩壊後に総計70兆円の公的資金投入を受けているという事実である。これはアメリカの金融機関とは決定的に異なる。そしてブッシュ大統領が現在浮上している銀行への公的資金投入案に関し、「安易な救済でモラルハザードを招かないようにすることが必要」と発言したことに注目したい。(というかこれは当たり前のことなのだが。。)
日本の銀行は公的資金投入によって経営状況などの報告義務などが課されはしたが、バブル時の銀行の放漫経営に関してはまったくといっていいほど責任の追求は行われなかった。その後、銀行は国民の税金で復活できたという事実に対し釈明も、感謝表明も、利益還元も国民にほとんど行わなかった。ちなみに公的資金返済後、真っ先にみずほ銀行が行ったのは、元頭取に対する数億円の退職金支払いである(2007年5月23日 読売新聞)。
そして私たちのような被害者に対してもみずほ銀行は説明責任すら放棄し、社長の「バブル期の融資には問題があった」「「相手の方の御事情を十分配慮するというのは当然」(第154回国会 2002年6月12日)という国会答弁すら棚上げにして債権回収をしようとする。
つまり、モラルハザードを起こしているのは完全にみずほ銀行側なのである。このように日本のメガバンクはどこもかしこもモラルハザードを起こしながら、現在も厚顔無恥なまま平気でいるのである。このようなみずほ銀行に代表される日本の金融機関のモラルハザードを許したのは端的に国の責任であるが、そのことによって当方のような個人被害者が放置されるのである。
このブログの読者も是非日本の金融システムがどれだけ消費者にとって不利にできているかを理解していただきたい。そしてそれは人々の声が大きくなれば変えられるのだ、ということも。
アメリカではサブプライム問題の解決に向け、FRBのバーナンキ議長を中心にさまざまな提言がなされている。実際にどのような形になるかどうかはまだ不明だが、事態は具体的で包括的な解決策に向けて動き出しているように見える。そこで以下にいくつかニュースのリンクをあげ、当方の被害と関連させつつ日本のバブル崩壊について書きたい。
ロイター 3月15日「米FRB、住宅差し押さえの打撃を和らげるよう努力=バーナンキ議長」=『米連邦準備理事会(FRB)のバーナンキ議長は14日、住宅差し押さえが相次いでいることは無謀な貸出慣行が一因との見方を示し、差し押さえの打撃を和らげるためにFRBはあらゆる努力をすると確約した。』
読売新聞 3月15日「銀行救済策、公的資金活用も選択肢に…米大統領」=『大統領は、救済に関して「米連邦準備制度理事会(FRB)や財務省がモラルハザード(倫理の欠如)と市場安定を注意深く比較検討したことが米国民にわかる形にすることが重要だ」と述べ、安易な救済でモラルハザードを招かないようにすることが必要との認識を示した。』
ブルームバーグ 3月4日「FRB議長:貸し手に「住宅ローン元本削減」要請、差し押さえ抑制で」=『バーナンキ議長は「貸し手は元本減額には消極的であることをFRBに表明している。元本を減額すれば、住宅価格がさらに下落し、再び元本を減額するよう圧力を受けると主張している」ことを明らかにした。しかし、ローン残高を減らせば、「デフォルト(債務不履行)や差し押さえのリスクが低下し、予想される返済が増える可能性がある」と反論した。』
ブルームバーグ 3月15日「バーナンキFRB議長:住宅ローン、あらゆる貸し手への「監視強化」を 」=『バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は14日、ワシントンでの講演で、「この数年みられる住宅ローンには、無責任あるいは杜撰(ずさん)なものが多過ぎる」と述べ、あらゆる住宅ローンの貸し手に対する「監視強化」を求めた。』『バーナンキ議長は4日、差し押さえを回避するため、住宅ローンの元本削減に応じるよう金融機関に求めた。』
テレビ東京 3月5日(動画ニュース) =『バーナンキ議長は元本の削減は借り手を助けるだけでなく、金融機関にとっても貸し倒れのリスクが減るとしています。』
以上のようなニュースからわかるのは、FRBは借り手が自宅を失うことのないように金融機関に元本削減を求めていることだ。その根拠として元本削減のほうが住宅差し押さえよりも利益が出るから、という論理を使っている(この件に関してはこのブログの説明がわかりやすかった)。これに対しはポールソン財務長官などが反対しているようであり政府内部にも異論が多そうだが、少なくとも金融当局トップが可能な限りサブプライム問題の債務者が自宅を失わないような方策を考えているのは確かである。
異論はあるにせよ、バーナンキ議長のサブプライム救済策は市場経済合理性に基づいて、元本削減による債務者の自宅保全策を提案しているわけである。この観点から言えば、私たちはみずほ銀行に対して社会的・道義的責任から元本削減による自宅の維持を求めているのであり、アメリカにおける現在の議論とは確かに異なるといえるかもしれない(日本では銀行絶対有利の法制度上の壁、行政の消極さ、立法府の怠慢からそれしかほとんど不可能なのが実情であり、みずほ銀行はそれをいい事に強硬なのである)。
そのため、当方が要求するような市場原理に基づかない元本削減が行われればモラルハザードが起こり、債務者の返済意欲の減退が起こる、あるいは株主訴訟を起こされるかもしれない、という反論が銀行からなされるのであろう。(実際は社会的責任などお構いなく、ただひたすら利益をあげたいだけである)
しかし、注意すべきはみずほ銀行はじめ、日本の銀行はバブル崩壊後に総計70兆円の公的資金投入を受けているという事実である。これはアメリカの金融機関とは決定的に異なる。そしてブッシュ大統領が現在浮上している銀行への公的資金投入案に関し、「安易な救済でモラルハザードを招かないようにすることが必要」と発言したことに注目したい。(というかこれは当たり前のことなのだが。。)
日本の銀行は公的資金投入によって経営状況などの報告義務などが課されはしたが、バブル時の銀行の放漫経営に関してはまったくといっていいほど責任の追求は行われなかった。その後、銀行は国民の税金で復活できたという事実に対し釈明も、感謝表明も、利益還元も国民にほとんど行わなかった。ちなみに公的資金返済後、真っ先にみずほ銀行が行ったのは、元頭取に対する数億円の退職金支払いである(2007年5月23日 読売新聞)。
そして私たちのような被害者に対してもみずほ銀行は説明責任すら放棄し、社長の「バブル期の融資には問題があった」「「相手の方の御事情を十分配慮するというのは当然」(第154回国会 2002年6月12日)という国会答弁すら棚上げにして債権回収をしようとする。
つまり、モラルハザードを起こしているのは完全にみずほ銀行側なのである。このように日本のメガバンクはどこもかしこもモラルハザードを起こしながら、現在も厚顔無恥なまま平気でいるのである。このようなみずほ銀行に代表される日本の金融機関のモラルハザードを許したのは端的に国の責任であるが、そのことによって当方のような個人被害者が放置されるのである。
このブログの読者も是非日本の金融システムがどれだけ消費者にとって不利にできているかを理解していただきたい。そしてそれは人々の声が大きくなれば変えられるのだ、ということも。
ここのところパソコンの調子が非常に悪く、更新が滞りがちでした。これからも更新は続けますので、よろしくお願いします
先日、薬害エイズ事件に関して厚生省の元課長に有罪判決が下った。
時事通信
読売新聞
有罪判決の根拠となったのは、行政責任者の「不作為」。つまり、やるべきだった対策を怠った、ということである。
「不作為」による有罪判決で画期となったのは2001年、熊本地裁でのハンセン病国家賠償訴訟である。ハンセン病訴訟では行政、立法にも「不作為」が認定され、原告の勝訴につながった。
民主党談話、
櫻井よしこ ブログなどが、わかりやすく説明している。
そして今回の薬害エイズの最高裁判決は、不作為による罪が、官僚個人に対する刑事責任にまで波及したのである。
以上のことを踏まえ、私たち銀行被害者のケースを考えてみると、同様のことがいえるのがわかる。
よって以下では私たちのような銀行被害に関連して行政、立法の不作為が認定されうる可能性について述べたい。
たとえば、リンク先にも挙げてある「銀行の貸して責任を問う会」は1996年の発足当初から、当時の大蔵省に対し銀行の過剰提案融資に関する質問書を再三提出している。また同会は金融庁に対しても不良債権処理に際し、借り手の側に責任大であるもの、貸し手の側に責任大であるもの、神戸震災などの天災によって不良債権化したもの、の三つに分けて不良債権問題に対処すべし、との要望書を何度も提出している。あるいは、国会議員によっても銀行の巨額提案融資の問題点については質問主意書が提出されている。
つまり、当時の大蔵省にしても、現在の金融庁にしても、バブル期の銀行による巨額提案融資によって国民に大きな被害が出ているのを知らない、という言い訳は絶対にできない。では、被害があるのは知っていた、という前提の上で、金融当局はこの問題に対応する権限はあったのか。
当時にしても現在にしても、大蔵大臣・金融当局は銀行法に基づき業務改善命令や、行政指導する強い権限を持っている。つまり、銀行の非道かつ社会的責任を無視した経営に対し、修正するよう強制する力を持っている。しかし、私たち被害者の声はほとんど聞かれることはなく、変額保険に代表されるように銀行の巨額提案融資による被害に対し、金融行政はまったく国民の側を向いた仕事をしなかったのである。
簡単に言えば、行政は一般社会常識に照らして明らかにそれに矛盾する、当方に代表されるような銀行被害が出ているのを知っていた。そしてそれをとめる権限を大蔵省・金融庁は持っていた。しかし、行政はそれをまったく行わなかった(小泉政権下での「迅速な不良債権処理」という政策のみが優先された)、ということである。
以上から金融行政の「不作為」が問われうる可能性は十分ある。
私たちは昨年、金融庁に対し議員を伴って陳情に行った。その時の担当官たちの答えは「大変だと思います。しかし、法律が優先されますから」という趣旨のことを言った。
一見妥当にみえるが、これが通るならば最高裁で薬害エイズの行政責任は認定されなかったはずである。一般社会常識より法律が優先するなどおかしいのである。金融庁にも私たちのような銀行被害を食い止める責任がある、というのは明らかなのではないだろうか。現在の消費者重視を掲げる福田政権のスタンスからしても、この問題に行政担当者が真摯に向き合ってくれることを願ってやまない。
このブログは現在も平均して霞ヶ関、永田町から一ヶ月で平均100件のヒットがある(ちなみに「みずほ銀行 融資」でグーグル検索すると上から二番目)。このブログを読んでくださっている官僚、政治家の方々に心からお願いしたい。どうか、私たちの家をみずほ銀行から守ってください。まだ被害は食い止められるのです。
お金がほしかったわけでも、投資がしたかったわけでも、不動産転売をしたかったわけでもない。ただただ、みずほ銀行が提案してきたように、戦前からある家を末永く維持するためだけに借金を起こしたのです。
銀行は「国民生活の破綻を避ける」という名目での公的資金投入によって救済され復活しました。その裏側で現在、銀行によって家を失い、生活を破綻させられる国民がいるという事実を、国家の責任者たちは何も感じないのでしょうか?
先日、薬害エイズ事件に関して厚生省の元課長に有罪判決が下った。
時事通信
読売新聞
有罪判決の根拠となったのは、行政責任者の「不作為」。つまり、やるべきだった対策を怠った、ということである。
「不作為」による有罪判決で画期となったのは2001年、熊本地裁でのハンセン病国家賠償訴訟である。ハンセン病訴訟では行政、立法にも「不作為」が認定され、原告の勝訴につながった。
民主党談話、
櫻井よしこ ブログなどが、わかりやすく説明している。
そして今回の薬害エイズの最高裁判決は、不作為による罪が、官僚個人に対する刑事責任にまで波及したのである。
以上のことを踏まえ、私たち銀行被害者のケースを考えてみると、同様のことがいえるのがわかる。
よって以下では私たちのような銀行被害に関連して行政、立法の不作為が認定されうる可能性について述べたい。
たとえば、リンク先にも挙げてある「銀行の貸して責任を問う会」は1996年の発足当初から、当時の大蔵省に対し銀行の過剰提案融資に関する質問書を再三提出している。また同会は金融庁に対しても不良債権処理に際し、借り手の側に責任大であるもの、貸し手の側に責任大であるもの、神戸震災などの天災によって不良債権化したもの、の三つに分けて不良債権問題に対処すべし、との要望書を何度も提出している。あるいは、国会議員によっても銀行の巨額提案融資の問題点については質問主意書が提出されている。
つまり、当時の大蔵省にしても、現在の金融庁にしても、バブル期の銀行による巨額提案融資によって国民に大きな被害が出ているのを知らない、という言い訳は絶対にできない。では、被害があるのは知っていた、という前提の上で、金融当局はこの問題に対応する権限はあったのか。
当時にしても現在にしても、大蔵大臣・金融当局は銀行法に基づき業務改善命令や、行政指導する強い権限を持っている。つまり、銀行の非道かつ社会的責任を無視した経営に対し、修正するよう強制する力を持っている。しかし、私たち被害者の声はほとんど聞かれることはなく、変額保険に代表されるように銀行の巨額提案融資による被害に対し、金融行政はまったく国民の側を向いた仕事をしなかったのである。
簡単に言えば、行政は一般社会常識に照らして明らかにそれに矛盾する、当方に代表されるような銀行被害が出ているのを知っていた。そしてそれをとめる権限を大蔵省・金融庁は持っていた。しかし、行政はそれをまったく行わなかった(小泉政権下での「迅速な不良債権処理」という政策のみが優先された)、ということである。
以上から金融行政の「不作為」が問われうる可能性は十分ある。
私たちは昨年、金融庁に対し議員を伴って陳情に行った。その時の担当官たちの答えは「大変だと思います。しかし、法律が優先されますから」という趣旨のことを言った。
一見妥当にみえるが、これが通るならば最高裁で薬害エイズの行政責任は認定されなかったはずである。一般社会常識より法律が優先するなどおかしいのである。金融庁にも私たちのような銀行被害を食い止める責任がある、というのは明らかなのではないだろうか。現在の消費者重視を掲げる福田政権のスタンスからしても、この問題に行政担当者が真摯に向き合ってくれることを願ってやまない。
このブログは現在も平均して霞ヶ関、永田町から一ヶ月で平均100件のヒットがある(ちなみに「みずほ銀行 融資」でグーグル検索すると上から二番目)。このブログを読んでくださっている官僚、政治家の方々に心からお願いしたい。どうか、私たちの家をみずほ銀行から守ってください。まだ被害は食い止められるのです。
お金がほしかったわけでも、投資がしたかったわけでも、不動産転売をしたかったわけでもない。ただただ、みずほ銀行が提案してきたように、戦前からある家を末永く維持するためだけに借金を起こしたのです。
銀行は「国民生活の破綻を避ける」という名目での公的資金投入によって救済され復活しました。その裏側で現在、銀行によって家を失い、生活を破綻させられる国民がいるという事実を、国家の責任者たちは何も感じないのでしょうか?
2月23日: 日本の銀行とその保護行政の歴史
日本の金融機関は戦前から、国の保護行政・護送船団方式のぬるま湯の中で生きながらえてきた。だからこそ戦後日本において、極めて安定した職種として認知されるようになり、「銀行マン」なるものが羨望され、結婚などに際し評判がよかったのである。しかし、それ故に金融は農林業などと同じで、現在、日本において最も国際競争力のない産業の一つである。
そのぬるま湯で育った銀行は、バブル時代、はじめて一人立ちしようとした。それまでの大蔵省主導下の消極的で受身的な経営から、積極的かつ自主的経営に乗り出したのである。それまで培った信用の看板を前面に押し出し、企業向け融資の拡大はもちろん、個人向けにも多額融資をし始めた。(その中で私たちの被害は生まれている。)その結果が、巨額不良債権という失敗につながった。
つまり、初めて大規模な主体的経営を行った途端、銀行はいきなりバブル崩壊という未曾有のリセッションを引き起す一因を作ったのである。
そして結局、銀行は70兆円の公的資金投入をしてもらうことで、自身の失敗を国民に尻拭いをさせた。またいまだに税金を払っていない。そして自分たちの経営失敗・公的資金投入という責任を完全に棚上げにし、2008年という時代になっても私たちのような被害者に対し、一切の説明なく言語道断の債権回収を行おうとするのである。
以前に、大瀧氏による金融立国論に対する批判の論文を掲載したが、金融立国などという暴論を主張する人間は、まず私たち銀行被害者の声にも耳を傾けるべきである。どれだけ多くの人が銀行に人生を奪われたか、知っているのだろうか?その痛みをリアルに感じたことがあるのだろうか?金融庁こそ「国民を向いた政治」をすべきではないか。
無職の高齢者に2億円をリスク説明なしに融資したみずほ銀行が、「貸し手責任は0」、と主張したまま顧客の戦前からの自宅・土地を奪おうとしている、ということを多くの方に知っていただきたい。それもみずほ銀行が「自宅の将来的な保全」のためと言って相続税対策として借金を提案してきたのである。
このような銀行の横暴・矛盾が許される社会制度の中に、未だに日本という国はある、ということをこの国のリーダーたちはおかしいと思わないのだろうか?
そのぬるま湯で育った銀行は、バブル時代、はじめて一人立ちしようとした。それまでの大蔵省主導下の消極的で受身的な経営から、積極的かつ自主的経営に乗り出したのである。それまで培った信用の看板を前面に押し出し、企業向け融資の拡大はもちろん、個人向けにも多額融資をし始めた。(その中で私たちの被害は生まれている。)その結果が、巨額不良債権という失敗につながった。
つまり、初めて大規模な主体的経営を行った途端、銀行はいきなりバブル崩壊という未曾有のリセッションを引き起す一因を作ったのである。
そして結局、銀行は70兆円の公的資金投入をしてもらうことで、自身の失敗を国民に尻拭いをさせた。またいまだに税金を払っていない。そして自分たちの経営失敗・公的資金投入という責任を完全に棚上げにし、2008年という時代になっても私たちのような被害者に対し、一切の説明なく言語道断の債権回収を行おうとするのである。
以前に、大瀧氏による金融立国論に対する批判の論文を掲載したが、金融立国などという暴論を主張する人間は、まず私たち銀行被害者の声にも耳を傾けるべきである。どれだけ多くの人が銀行に人生を奪われたか、知っているのだろうか?その痛みをリアルに感じたことがあるのだろうか?金融庁こそ「国民を向いた政治」をすべきではないか。
無職の高齢者に2億円をリスク説明なしに融資したみずほ銀行が、「貸し手責任は0」、と主張したまま顧客の戦前からの自宅・土地を奪おうとしている、ということを多くの方に知っていただきたい。それもみずほ銀行が「自宅の将来的な保全」のためと言って相続税対策として借金を提案してきたのである。
このような銀行の横暴・矛盾が許される社会制度の中に、未だに日本という国はある、ということをこの国のリーダーたちはおかしいと思わないのだろうか?
2月21日: サイト紹介 『みずほ銀行の裏窓』
みずほ銀行の悪質・反社会的経営を訴える同様サイトを紹介します。
『みずほ銀行の裏窓』
この方が言っていることは、根本的なところで当方が主張していることと同じである。
「人を騙さずに一生懸命生きてきた私は、みずほ銀行から人生で初めての取返しのつかない裏切りを受けた。
取引したのは私の不徳だが、なりふりかまわぬ保身をするみずほ銀行を私は許せない。」
「 「筆舌にし難い」 との言葉を しみじみと実感している現在です。」
ある中堅自民党議員が次のようなことを私たちに直接聞かせてくれた。
「近年はサラ金に対しては国のメスが入るようになってきた。けれどその奥にいる、本当の悪の中枢である銀行にはまだ手が届かない。必ず、ここに鉄槌を下さなくては」
国民は、自民党議員にすらこのように言及される日本の銀行の真実をもっと知るべきだと思う。それほど銀行は顧客など、どうにでも出来ると考えているのだ。それが、ここで紹介したサイトを含め、私たちのような銀行被害者を生むのである。
『みずほ銀行の裏窓』
この方が言っていることは、根本的なところで当方が主張していることと同じである。
「人を騙さずに一生懸命生きてきた私は、みずほ銀行から人生で初めての取返しのつかない裏切りを受けた。
取引したのは私の不徳だが、なりふりかまわぬ保身をするみずほ銀行を私は許せない。」
「 「筆舌にし難い」 との言葉を しみじみと実感している現在です。」
ある中堅自民党議員が次のようなことを私たちに直接聞かせてくれた。
「近年はサラ金に対しては国のメスが入るようになってきた。けれどその奥にいる、本当の悪の中枢である銀行にはまだ手が届かない。必ず、ここに鉄槌を下さなくては」
国民は、自民党議員にすらこのように言及される日本の銀行の真実をもっと知るべきだと思う。それほど銀行は顧客など、どうにでも出来ると考えているのだ。それが、ここで紹介したサイトを含め、私たちのような銀行被害者を生むのである。
2月10日: 大瀧雅之「『金融立国論』批判」
このような論文を発見した。最近の日本での金融立国を目指せという主張に対する批判である。
大瀧雅之(東大・社研教授)「『金融立国論』批判」 『世界』2008.3
1、2、3、4、5、6
「つまり、日本の金融業は自らの責に帰すべきところの大きい『バブル崩壊』と呼ばれる不良債権問題を、ついぞ自力解決できなかった産業であることを、われわれは黙視すべきではない。自浄能力・革新能力に疑問の残るこうした産業に国の未来を託そうというのは、いかにも暴挙ではないか。」P109
「日本の金融業への過保護行政が、『護送船団方式』の昔とは姿を変え、『市場型間接金融』や『金融立国論』と名さえも変じているとは言え、一般市民への倣岸というべき負担強制を省みず、全く改まっていないとの総括にいたる」P109
大瀧氏は結論として、「金融・保険業・不動産業」の就業者数は全就業人口の3.6%に過ぎず、総生産額からみても日本経済全体の7%に過ぎないことから、「金融立国論」の現実不可能性を、その他の論拠も用いながら論じている。
私たちのケースの場合、みずほ銀行は雑誌、新聞、テレビ、国会でその理不尽かつ無責任な経営姿勢を追及されたにもかかわらず、未だに自身の罪はゼロだといっている。前田社長が「バブル時代の融資は、銀行にも問題があった」と国会で明言(第154回国会 2002/4/24 )しているが、現実には何一つ責任を認めようとしない。そして私たち家族の生活を破綻させてでも、収益を上げようとする。
私たち銀行被害者ははっきりと断言できる。どんなに責任が明白でも銀行は自分たちの責任を絶対に認めない。そしてそれを許す日本の政・財・官の癒着がある。銀行はそれほど深く国家に食い込んでいる。そんな銀行が中心にある金融業を中心として立国せよ、などというのは国家破綻のシナリオである。失敗した時、必ずやまた、銀行は国民にすべての尻拭いをさせる。
銀行被害者となっていえることは、「絶対に銀行を信用するな」ということだ。そしてこれほどの顧客軽視をする銀行業を国の中心産業にするなどというのは、考えただけでもゾッとするのである。
『日経ヴェリタス』での金融立国論批判
「金融立国」の虚構――「技術不在」米に追随するな 『日経ヴェリタス』08/1/21
金融庁発表「金融改革プログラム - 金融サービス立国への挑戦 -」 PDF
大瀧雅之(東大・社研教授)「『金融立国論』批判」 『世界』2008.3
1、2、3、4、5、6
「つまり、日本の金融業は自らの責に帰すべきところの大きい『バブル崩壊』と呼ばれる不良債権問題を、ついぞ自力解決できなかった産業であることを、われわれは黙視すべきではない。自浄能力・革新能力に疑問の残るこうした産業に国の未来を託そうというのは、いかにも暴挙ではないか。」P109
「日本の金融業への過保護行政が、『護送船団方式』の昔とは姿を変え、『市場型間接金融』や『金融立国論』と名さえも変じているとは言え、一般市民への倣岸というべき負担強制を省みず、全く改まっていないとの総括にいたる」P109
大瀧氏は結論として、「金融・保険業・不動産業」の就業者数は全就業人口の3.6%に過ぎず、総生産額からみても日本経済全体の7%に過ぎないことから、「金融立国論」の現実不可能性を、その他の論拠も用いながら論じている。
私たちのケースの場合、みずほ銀行は雑誌、新聞、テレビ、国会でその理不尽かつ無責任な経営姿勢を追及されたにもかかわらず、未だに自身の罪はゼロだといっている。前田社長が「バブル時代の融資は、銀行にも問題があった」と国会で明言(第154回国会 2002/4/24 )しているが、現実には何一つ責任を認めようとしない。そして私たち家族の生活を破綻させてでも、収益を上げようとする。
私たち銀行被害者ははっきりと断言できる。どんなに責任が明白でも銀行は自分たちの責任を絶対に認めない。そしてそれを許す日本の政・財・官の癒着がある。銀行はそれほど深く国家に食い込んでいる。そんな銀行が中心にある金融業を中心として立国せよ、などというのは国家破綻のシナリオである。失敗した時、必ずやまた、銀行は国民にすべての尻拭いをさせる。
銀行被害者となっていえることは、「絶対に銀行を信用するな」ということだ。そしてこれほどの顧客軽視をする銀行業を国の中心産業にするなどというのは、考えただけでもゾッとするのである。
『日経ヴェリタス』での金融立国論批判
「金融立国」の虚構――「技術不在」米に追随するな 『日経ヴェリタス』08/1/21
金融庁発表「金融改革プログラム - 金融サービス立国への挑戦 -」 PDF
1月25日: 銀行融資の実態 頭取自宅前で抗議の心中未遂
銀行融資の実態 頭取自宅前で抗議の心中未遂
2007.7.5 TBS イブニングファイブ You Tube
弟と心中未遂を図ったこの女性は、殺人未遂で逮捕された。銀行があの手この手で提案してきたことを信じたがゆえに、長年住み続けた家を銀行に奪われたのだ。
「家を奪われたら、生きていけないと思ったのです。」
全く、私たちも同じように感じる。
銀行関係者はこの痛みをどう受け止めるのか?無視し、軽視し、しょうがなかったというのだろう。これほど被害者を苦しめていても、家に帰れば平気な顔で家族に愛情表現をしたり、教育論をぶったり、幸せな生活をエンジョイするのが銀行マンなのだ。「おれだって仕事で大変なんだ」。そうやって自分たちが他者に甚大な痛みを与えているという事実から、目をそらし、言い訳を積み重ねるのだろう。
おれには直接関係ないことだ、会社のためには仕方がないのだ。そうやって、被害者の痛みを見ないようにし、一人平和な生活を盗み取ろうとするのが銀行マンである。自分たちの利益のためには、被害者が苦しむのもしょうがない。自分が会社の不正な行為を黙認している一人なのだ、という事実さえ見ないようにし、否定しようとするだろう。
バブル時代の銀行融資はまさに常識はずれの放漫経営の典型だった。そのツケを日本社会はバブル崩壊という国家的損害として支払い、銀行救済策として70兆円という国民の税金が使われた。
しかし、銀行は本当に何も反省しないまま、国民に自分たちの失敗をすべて押し付けたままなのである。それに対し被害者がどのように感じているか、真摯に答えるべきである。みずほ銀行を筆頭に、銀行は私たち被害者など、全く無視したままなのである。
そして、このブログを見る一人でも多くの人が、銀行に対し、その顧客軽視の経営姿勢を改めるよう迫ってもらえればと思う。
2007.7.5 TBS イブニングファイブ You Tube
弟と心中未遂を図ったこの女性は、殺人未遂で逮捕された。銀行があの手この手で提案してきたことを信じたがゆえに、長年住み続けた家を銀行に奪われたのだ。
「家を奪われたら、生きていけないと思ったのです。」
全く、私たちも同じように感じる。
銀行関係者はこの痛みをどう受け止めるのか?無視し、軽視し、しょうがなかったというのだろう。これほど被害者を苦しめていても、家に帰れば平気な顔で家族に愛情表現をしたり、教育論をぶったり、幸せな生活をエンジョイするのが銀行マンなのだ。「おれだって仕事で大変なんだ」。そうやって自分たちが他者に甚大な痛みを与えているという事実から、目をそらし、言い訳を積み重ねるのだろう。
おれには直接関係ないことだ、会社のためには仕方がないのだ。そうやって、被害者の痛みを見ないようにし、一人平和な生活を盗み取ろうとするのが銀行マンである。自分たちの利益のためには、被害者が苦しむのもしょうがない。自分が会社の不正な行為を黙認している一人なのだ、という事実さえ見ないようにし、否定しようとするだろう。
バブル時代の銀行融資はまさに常識はずれの放漫経営の典型だった。そのツケを日本社会はバブル崩壊という国家的損害として支払い、銀行救済策として70兆円という国民の税金が使われた。
しかし、銀行は本当に何も反省しないまま、国民に自分たちの失敗をすべて押し付けたままなのである。それに対し被害者がどのように感じているか、真摯に答えるべきである。みずほ銀行を筆頭に、銀行は私たち被害者など、全く無視したままなのである。
そして、このブログを見る一人でも多くの人が、銀行に対し、その顧客軽視の経営姿勢を改めるよう迫ってもらえればと思う。
1月21日: みずほ銀行に金融庁の「メス」
こんな記事があった。
週刊朝日 20071.4-11
「老舗企業舞台の不可解融資に注目」
「金融庁が2007年11月20日から、みずほ銀行に対する検査を続けて、新年も続行する見込みだという。みずほ銀行側は「年一回の通常検査」(広報部)としてあくまでも平静さを装っているが、検査はみずほの不可解な取引に焦点を当てており、どうも『通常』とは違うようだ』
みずほ銀行がいかに企業の社会的責任というものを無視した経営をしているか、それが金融庁にも目をつけられているのだ。ちょうど私たちの問題が差し迫っていた時期に、みずほ銀行は金融庁の調査を受けていたことになる。
銀行は顧客を「騙すために」極めて複雑で素人には分からないやり方をしてくる。プロが顧客を「騙すこと」をみずほ銀行はなんとも思っていない。
みずほ銀行に「騙された」この大黒屋の社長もこう言っている。
「みずほというメガバンクがついているんだから、変なことはするわけがないと、端から信用しきっていた。」
みずほ銀行が、そして日本の銀行がいかに信用ならないか、そして国民の税金で救済されながらいかに顧客を軽視しているか、是非このブログをご覧の皆さんにも理解していただければと思う。
銀行が収益至上主義に走ることで、損害を蒙るのは常に一人一人の顧客である。
週刊朝日 20071.4-11
「老舗企業舞台の不可解融資に注目」
「金融庁が2007年11月20日から、みずほ銀行に対する検査を続けて、新年も続行する見込みだという。みずほ銀行側は「年一回の通常検査」(広報部)としてあくまでも平静さを装っているが、検査はみずほの不可解な取引に焦点を当てており、どうも『通常』とは違うようだ』
みずほ銀行がいかに企業の社会的責任というものを無視した経営をしているか、それが金融庁にも目をつけられているのだ。ちょうど私たちの問題が差し迫っていた時期に、みずほ銀行は金融庁の調査を受けていたことになる。
銀行は顧客を「騙すために」極めて複雑で素人には分からないやり方をしてくる。プロが顧客を「騙すこと」をみずほ銀行はなんとも思っていない。
みずほ銀行に「騙された」この大黒屋の社長もこう言っている。
「みずほというメガバンクがついているんだから、変なことはするわけがないと、端から信用しきっていた。」
みずほ銀行が、そして日本の銀行がいかに信用ならないか、そして国民の税金で救済されながらいかに顧客を軽視しているか、是非このブログをご覧の皆さんにも理解していただければと思う。
銀行が収益至上主義に走ることで、損害を蒙るのは常に一人一人の顧客である。






